世界的な意見ですとおそらく1980年の冬季オリンピックアイスホッケー決勝アメリカVSソ連と答える方が多いでしょう。
ですが私は「ツールドフランス1989年大会」と断言します。
自転車ロードレースそのものがマイナースポーツなため(といってもヨーロッパではサッカーの次にメジャー競技)日本でこのレースの凄さは周知されていませんが、劇的すぎるレースでした。
まずツールドフランスの概要から説明しなくてはなりません。
100年以上前から開催されているフランス一周自転車レースです。毎年7月に約3週間かけてフランスを一周するレースです。序盤は平たんなフランスの農業地帯を走り、後半はピレネー山脈の走り勝敗を決めます。
フランス外周を20区間くらいに分け、1日1区間走り、その累計時間を競うものです。最終日にパリシャンデリゼに帰ってくる3200キロの行程です。
1989年大会。それはフランス革命200年記念大会でした。フランス国民の期待はフランスの英雄ローランフィニョンに集まります。そして前年優勝者のスペインのペトロデルカド。
そしてそして猟銃の暴発事故から奇跡の復活をしたアメリカの英雄グレッグレモン。当時自転車ロードレースはヨーロッパだけのものという認識があったので1人混ざっているアメリカン人は非常に珍しい存在でした。
この3選手の実力がとびぬけていましたので3人の争いになるのはわかっていました。
初日、珍事が起こります。
初日はプロローグと言って5キロ程度、顔見世を兼ねて走ります。5キロ程度の距離なのでほとんど差がつかず選手たちも本気じゃないのですが、なんと前年優勝のデルカドが遅刻するというハプニングが起こります。
ルール上遅刻時間も加算されるため、前年優勝者がいきなりの最下位。初日についた時間差を取り戻そうと、レース序盤から前年優勝者が積極的に飛ばす展開となりました。
↓遅刻してあわててスタートするデルカド
レース中盤のピレネー山脈ステージ(標高2000mあたりで、鹿児島の川辺峠くらいのアップダウンが毎日150キロ×数日)は日替わりで暫定一位がかわる死闘が繰り返されましたが、最終日を残した時点でフランスのフィニョンが2位のグレッグレモンに50秒の差をつけていました。前年優勝者の遅刻王デルカドは前半のチャージが響いてこのあたりで優勝争いから脱落。
↓傾斜7%前後の坂を酸欠寸前で死闘を繰り返すレモンとフィニョン
フランス一周して50秒差!これだけでもすごい話です。
最終日はエピローグと言って、シャンデリゼ通りまでの25キロ程度、時間にして27分弱走るのですが、この距離で50秒の差をひっくり返すなんて常識的に不可能です。
フランス国民はフランス革命200年の年にフランス選手が優勝すると確信してお祭り騒ぎでシャンデリゼに集まります。祝賀パレードの準備も行われました。
ここで奇跡が起こります。アメリカのグレッグレモンが信じられないスピードで走りました。20日間フランス一周走りぬき満身創痍の状態なのに、平均時速54.5㌔というトラック競技の世界記録以上のタイムで25キロを走り抜いたのです。
結局8秒差で逆転優勝、フランス一周3200キロ走って8秒差!3200キロと言ったら北海道の宗谷岬から直線距離で沖縄どころか台湾までの距離なんです。この長い距離を走って最終日逆転の8秒差!
フランスの優勝を確信していた観客やパレード準備の楽器隊が呆然と立ちすくんでいる中グレッグレモンとそのチームメイドだけが歓喜する異常な光景でした。
3200キロ走り抜いた時点の選手が、体調万全のトラック競技選手より早いタイムを出すなんて当然ドーピングを疑われましたが陽性反応は出ませんでした。
当時は色モノあつかいだった空気抵抗を考慮したヘルメットやハンドル、車輪の勝利だったかもしれまんし、定説になっていますが自転車そのものがロードレース用とトラック用では規格がちがうのでロードレース用の自転車の方がスピードが出たのだろうという話です。
↓空気抵抗を意識した自転車
↓中央が優勝したグレッグレモン、左が逆転されて落ち込むローランフィニョン、右が遅刻して最下位まで落ちたけど最終的に3位になってそこそこ満足してるペトロデルカド。