こんにちは。鹿児島の税理士事務所、きしゃば会計事務所のブログです。
前回は高野山のお寺での宿坊をご紹介いたしました。
今回は高野山の核心、奥の院から弘法大師の御廟までの道のりをご紹介したいと思います。
奥の院とは、高野山全体の文字通り奥に鎮座する高野山信仰の中心であり、入口から弘法大師の御廟、燈籠堂までの2~3キロの長さの巨木の杉並木があり、そこに無数の歴史上の人物の墓石、慰霊碑などが点在しています。
陽もあがり気温はマイナス4度くらいまで上がっていますが。当然寒いです。ヒートテック+シャツ+セーター2枚+コートでやっと耐えれる寒さ。
奥の院までは路線バスで向かいます。いよいよ奥の院入口。
事前に調べていて知っていたのですが燈籠堂までの道のりの間に名だたる戦国武将の墓が点在いたします。
漏らさず拝見するために案内マップ持参できました(笑)
入口から順に、武田信玄、上杉謙信(改装中)、まってました伊達政宗、明智光秀、石田三成、豊臣秀吉、織田信長です。
歴史に詳しい方なら驚くと思いますが、比叡山延暦寺を焼き討ち高野聖(高野山関連の修行僧)を惨殺し、高野山も攻めようとした織田信長の墓が高野山の一等地の奥の院にあるんです。
「仏になったら皆同じ」という高野山信仰の懐の深さのなせる業かもしれませんが、色々調べてみるといつの間にか誰かが勝手に建立してしまって、いくら信長憎しといえどわざわざ排除するまでにはいたなかったらしい流れのようです。
墓石郡を突き抜けると、いよいよ弘法大師御廟のある聖域と外界を分ける御廟橋にさしかかるのですがここから先は撮影禁止のため燈籠堂や弘法大師御廟の写真はありません。
燈籠堂は文字通り天井が燈籠で埋め尽くされています。Google検索結果です。
燈籠堂 ☚クリック
そしてその奥にはいよいよ弘法大師御廟がありました。多くの人が御廟に向かってブツブツ経を唱えていました。
弘法大師御廟。Google検索結果です。無断で撮影して堂々とブログにUPしてる人がいてビックリです。
弘法大師御廟 ☚クリック
ちょうど弘法大師のお食事の時間のようで、木箱の中に入っているだろう食事が運ばれて来ました。そうなんです弘法大師は生きていることになっています。1200年以上毎日行わてる儀式です。
精進料理だけではなくシチューやパスタなどの洋食も出されるようです。Google検索結果です。
弘法大師御廟に手を合わせ清い気持ちで元来た道を戻りました。少し道を外れますと戦国武将などのお墓の他に実は企業の社員慰霊碑なども点在しています。
コーヒーのUCCやヤクルトのオモシロ社員慰霊碑がありました。